2005年06月20日

終戦後に埋もれた記憶

産経新聞の昭和25年(1950年)6月28日(水)付朝刊の内容を簡単に載せた
http://www.sankei.co.jp/databox/50ys_ago/html/5006/28.html
の「密航4ルートの動態 日韓結ぶ海の裏街道 潜入はお茶のこ 捕わる者僅か2割」
という記事は以下のように記述している。一部引用する。


 密入国および不法入国は近来、職業的な密輸密航に変り、手口も巧妙となり、取締法規の盲点をつく知能犯的性格をおびてきている。密航のルートには現在、大別して次の4つがある。

(中略)

 これら4ルートを通じて終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているとさえいわれる。
<敗戦国の悲しさ>
 これが取締りは目下、海上保安庁と国家警察本部が当っているが、密輸団は火砲装備を持っているに反し、我が監視船は何ら装備なく、捕捉率はきわめて悪く、密輸船の2割程度しか捕捉出来ない現状にある。また、入国した際の外国人登録証明は暴力と買収につきるといわれ、それがそのまま合法化する場合が多いようだ。
 密輸取引物資は、日本から文房具、化粧品、薬品、繊維製品、金属製品、機械類で、朝鮮からは米、焼酎、牛皮、生ゴム等が持ち込まれ、徳田ラインからは拳銃等も持ち込まれているといわれる。日本から機械類を運ぶのは、北鮮の各工場でソ連製機械部品を取り付けるには7年以上を要するので、手軽な日本製を求めるからだという。 <対策に手を焼く取締当局>
 逮捕された朝鮮人は、佐世保港外針尾収容所に送られるが、この収容能力は800名で、到底収容しきれず、また送還しても何ら不法入国についての刑罰的規定がないので、何回も渡航を企て、当局でも全くその対策には手を焼いている模様だ。 今次、南北鮮戦争から今後、南鮮からの密入国者は莫大な数字に上るものと予想される折柄、その根本的対策の樹立がきわめて注目されている。


これは直接に話を聞いてはいたが、その頃まだ生まれてもいなかった私にはごくごく一部の本にしか触れられていなかったタブーのような話だった。
その事態が進行中の昭和20年代に報道されていたとは今初めて知った。


このURLはFFXI雑談スレ420の発言88にコピペされてたので知ったんだけど(苦笑)、元スレどこだろう…。スレの書き込みそのものは、上記記事のコピペではなくて、池田某がやっていたというヤミ金商売について書いてあり、こんな言葉で締めているのだが・・・。


すでにサラ金がグループ企業に入り込んだ。全国すべての駅前にあるパチンコ屋は朝鮮人がこのようにして日本人から暴力で奪い取った土地に建っている。
君たちは、この事実を知っているのか?知らされていないのは、すべて朝日新聞が朝鮮人の集団暴力に負けて自らの生き残りだけを考えて日本国民を騙し続けてきたことが起源だ。騙されるな。私も騙されつづけた一人であった。


このような記録はネットがなかったら、もしかするとこのまま消される運命だったのかも。
posted by touji at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治、歴史など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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